あめいろの脱・徒然日記

今日という1日に彩りを

真実はココロの中に

僕は小学生の頃は、自尊心が強いだけのごく普通の小学生だったように思う。

ただ、周りと自分とのズレを感じつつ、それを他人に言えないまま中学生になり、中二の途中から『普通』の道を外れることになった。

もし、あのまま道を外れず生きていたら、きっと幸せだったろうなと思う。仲間と部活に励み学校行事で思い出を作り、そして一生懸命勉強して、それなりに良い大学に入って、それなりに良い企業に就職していただろうと思う。

 

いわゆる『普通』の幸せを手に入れていた筈だ。でも、僕は逃げてしまった。

 

一度逃げたら、一度道を踏み外したら、そう簡単には元には戻れない。僕は道を踏み外してから、かれこれ4年ボッチとして生きることとなる。

大学に入り、再び友達作りを始めた。

ただ、結局うまくいかず大学も辞めることとなった。歯車は噛み合わないまま、家を出て就職することとなった。

就職したのは障がい者福祉施設

社会人一年目は悲惨なものだった。ミスを繰り返し何度も辞めようと思った。ただ、大学を中退して後が無かったから辞めることはなかった。職場の人からの勧めもあり、会社以外のコミュニティを求めるようになってから、少しずつ自分の世界が開けていった。色んなビジネスに誘われたり借金もした。

自己研鑽に励む中で、少しずつ仕事がうまくいくようになってきた。少しずつ任されることが増えて。出来ることが増えて。利用者の笑顔を見れることが増えてきた。

 

とても充実していた。

でも、心の渇きは癒えなかった。

 

積もり積もった借金の返済の為、実家に戻ることにした。少しずつ借金を返していたのに、再びビジネスを始めることになり、また借金が増えた。

 

道を踏み外していなかったら、こうはなっていなかっただろうか。全部自業自得。

良い大学へ行き、良い会社に入る。仲間に囲まれながら生きる、そんな普通の幸せから逃げて、作家を目指したり、青春への憧れから再び大学へ入るため貯めた貯金を崩してセミナーを受けたり、ビジネスを始めたり、借金を繰り返したり。

 

何をやっているんだろうと思う。

普通の幸せが本当の意味で幸せかどうかは分からない。

 

今、自分が幸せだと思えば、今の自分だって幸せであることに変わりはないから。

 

どれだけ考えても人生は

最後は死というバッドエンドだ。

 

生きることに本当の意味などない。

みんな折り合いをつけながら大人になっていく。

 

でも自分は折り合いがつけられなかった。

未来から迫り来る死という現実が怖くて

現実から逃げてしまった。

 

自由に生きたい?

幸せになりたい?

平和な世界を生きていたい?

誰かの笑顔のために生きていたい?

 

全部現実から目を背ける為の考えに他ならない。

いつだって、現実なんて見ていたくないし、楽して生きていたいし、誰かに認められることでしか自分の存在価値なんて見出せない。

 

専門スキルを身につけてビジネスで成功して投資して、お金や時間に困らなくなったら幸せになれるだろうか。

世の中の本には、本当の幸せとは他の人に貢献することであり、感謝することであると書いてあったりする。誰かを本気で愛おしく思ったり心から笑えることを幸せと説く人もいる。

 

確かにそれで幸せを感じることはできる。

でも、幸せな状態を維持することは出来ない。

 

結局死ぬから。

 

では不老不死になれば良いのか。

それはそれで違う。今度は終わりのない恐怖との日々が始まる。

 

あー苦しい。

生きても辛い。

でも死ぬのはもっと怖いし辛い。

 

何も考えたくない。

何もしたくない。

 

どうして自分は生きている?

考えなければ、道を外れていなければ、

こんな想いをすることもなかったのかな?

 

答えなんてどこにもない。

この世界には真実なんてないから。

 

全部人が作ったまがいものだ。

 

だから答えは自分で生み出すしかない。

希望はいつも自分の心の中にある。

 

真実なんてないこの世界で、

自分だけが自分だけを救う真実を作り出すことが出来る。

 

宗教みたいな考え方だけど、

それ以外に希望なんてない。

 

人を救って貢献して

価値を生み出して大金を得て

名声を得て

 

その先に何があるだろう。

 

それらだって結局無意味なことかもしれない。

 

正解なんてどこにもない。

 

自分の心だけがかりそめでも

真実を作り出してくれる。

 

 

僕が信じる真実が

自分の人生をより良くすることを切に願う。

 

いつの日か僕の信じる真実が正しかったかどうか知るためにも

 

僕は今日も物語を紡ぐ

 

自分の人生を題材にして。

 

僕の物語が誰かの心の中で生きるのなら

僕の人生は無駄ではなかったのかもしれない。

 

何百年と刻を超えて

世界中で愛されるような

そんな物語に今日も挑戦中。

 

本のあとがきで会える日を夢見て。

ではまた。