あめいろの脱・徒然日記

今日という1日に彩りを

見ないフリをしていた現実

僕は死ぬのが怖い。

中学1年生の頃からだ。

かれこれ11年の時が過ぎた。

 

最初は自分がいつかなくなることを想像して

恐怖で叫んでしまったり、部屋のものを投げたり蹴ったりパニック症状に陥っていた。

 

仲間を失うことが怖くて、

人と関わることをしなくなり、

中3の頃には晴れてボッチとなっていた。

 

現実を見ずに1人過ごす毎日は楽だった。

ただ、なんの思い出も残ることはなかったが。

 

人恋しくなり、大学入学と同時に

また人と関わるようになった。

 

大人になるにつれ、自制できるようになったからか、死を恐怖する感情を見ないフリすることがうまくなっていた。

 

ただ、そう簡単に人付き合いがうまくいくものではなかった。

 

周りに馴染めず、

僕は大学を辞めた。

 

話は戻るが、

大学は理学療法士を目指す学校に通っていた。

理由はスポーツトレーナーになりたかったことと、子供の頃から良くしてくれていた親戚のおじさんおばさんが揃って身体障害者であり彼らの役に立ちたかったことが大きな理由だ。

 

あとは医者になれるような学力がなかったことと、人を思いやれるコミュニケーション力が無かった為、技術のみである程度役に立てる仕事に就きたかったこと、国家資格を取って自分に武器を作りたかったこと、学生時代に後悔があり皆で一緒に一つのことを目指す青春が送りたかったから、といった理由がある。

いや理由多いな。

 

要は総合的に判断して理学療法士を目指した。

ただ、理科科目に弱く興味が持てなかった。

自分の得意科目は数学と地理歴史。

そして、理学療法学科の体育会系のノリも苦手だった。

 

要は色んな言い訳をして大学を辞めた。

その後、実家を出て県外の障害者福祉施設に就職した。

理由は、ただ誰かの役に立ちたかったから。

そして、誰かを思いやれる自分になりたかったから。

今まで学んだことを生かしたかったから。

親戚に知的障害を持つ子がいたから。

そういったことが挙げられる。

 

福祉施設での仕事は楽しかった。

はじめての一人暮らしと社会人一年目ということもあり、最初の一年は大変だった。でも楽しかった。共に働く人達は良い人達ばかりで、みんな利用者さんのことが好きで、この仕事が好きな人ばかりだったから。そして、利用者さんから頂く「ありがとう」が、自分の人生をより豊かなものにしてくれた。

 

そして、障害を持つ彼らと触れたことで、自分が抱いていた「ふつう」の概念が消えた。

そして、その「ふつう」に生きることが正しいという概念も同時に消えていったのだった。

 

1人暮らしをする中で、色んな出会いがあった。仕事以外でさまざまなビジネスをする人と会った。あらゆる分野のセミナーにも参加した。新しい人間関係が構築され、気付けば自分は孤独でなくなっていた。ただ、セミナーに参加しまくったことや、訪問販売にぼったくられたこともあり、借金で首が回らなくなっていた自分は実家に帰る決断をした。

 

元々、家族とはわだかまりが多少なりともあったが、セミナーに参加する中で消えていった。

 

実家に戻ってからは

地元で高齢者介護の仕事に就いた。

最初は慣れない実家での生活、仕事に戸惑った。ただ、それも数ヶ月くらいのことだった。

半年が過ぎる頃には、この生活にも慣れた。

 

高齢者介護を行う中で感じたのは、

人は簡単に死ぬということだった。

 

そして、どれだけ生きようと

死ぬのは怖いし、死を見るのは辛いということを、まざまざと思い知らされた。

 

そんな中、会社の同僚から

カイロプラクティックセミナーに参加しないかと誘われた。

 

僕は一人暮らしの際に

ネットワークビジネスに誘われ、

その際に教えられた

人生で大切なことは

「金、健康、仲間」

の3つだという考え方を大事にしていたので

その誘いに乗ることにした。

 

カイロプラクティックセミナーを受け

僕はカイロプラクティックを職業として

やってみようと思った。

 

福祉や介護の仕事を通じて

たしかに「楽しい」思い出を

作ることは出来た。

 

でも、それは根本的な解決に

至っていないことを僕は知っていた。

 

明日がこないかもしれない恐怖を

かき消すように楽しんだところで

何も現実は変わらない。

 

僕は少し前から

作家になりたいという夢があった。

でも、それはあくまで上手くいかない現実から目を背ける為の手段ならびに報われない自分の気持ちを表現する為の手段ならびに仲違いをしていた漫画家志望の親友との関係を繋ぎ止める為の手段に他ならなかった。

 

僕はただ、いつか来る未来への恐怖から目を背ける為に、華やかな夢を掲げていただけだった。

 

いつか死ぬのなら

今日を楽しく生きようと。

 

その考えが間違っているわけじゃないだろう。

でも、結局その考えでは、自分の心の渇きが消えないことも事実だった。

 

どこまでいっても未来は怖くて

そして夢に逃げるしかない自分がいた。

 

いい加減、現実を見る時が来たのかもしれない。

齢24歳。

決断を迫られる節目まで、あと一年。

 

僕の本当の願いは

15歳の頃から知っている。

 

僕は日記を書くのが好きで

小四の頃に友達が誕生日に手作りメモ帳をくれた日から日記をつけている。

 

15歳の頃に日記に書いた。

『僕の夢は大切な人と永遠に笑い合っていること』

だと。

 

それが、僕の本当の夢だ。

 

スポーツトレーナーになることでも

理学療法士になることでも

作家になることでも

漫画家になることでも

心理カウンセラーになることでも

支援員になることでも

介護士になることでも

お笑い芸人になることでも

医者になることでもない。

 

僕の夢は

みんながずっと幸せでいられる世界を作ることだ。

 

要は世界平和。

 

ずっと知っていた。

でも、目を背けていた。

 

そんなの無理だと思っていたから。

みんなから笑われると思っていたから。

いつか死ぬ未来と向き合いたくなかったから。

 

僕の夢は3つに分解できる

 

1.みんなで一緒に

2.ずっと

3.笑い合う

 

1を達成するには、誰一人孤独にしてはならない。世界から差別をなくす必要すらある。それこそ、人種性別障害何一つ関係なく。

 

2を達成する為には、永遠の命が必要だ。不老不死を実現する必要がある。

 

3を達成するには楽しいことをする時間が必要になる。エンタメがあれば最高だろう。それも世界共通の感覚で楽しめるような。

 

僕のやってきたことは、

どれも夢のピースに過ぎなかった。

 

本当の夢を叶えるには

まだ遠い。

 

でも、見ないフリをしていた現実を

もう一度見て、ふと思う。

 

やっぱ、その夢が叶ったら

最高にワクワクするなって。

 

いくつになっても

どんな未来を辿っても

それでも隣で笑ってくれる子がいたなら

どれほど素晴らしい人生だろう

世界だろう

 

そんなことを思う。

 

だから、夢を見る時間はもう終わりだ。

これからは、その夢を現実にする為に行動する時間。

 

明日が来るのかなんて分からない。

それでも、明日が今日よりもワクワク出来るよう、僕は最高の明日の準備を今日する。

 

それで良い。

それが自分だ。

 

真の自分よ

ようやく会えたね。

 

もうどこも行くなよ。

ずっと隣で笑ってくれよな。

 

 

僕も隣で笑うから^^

 

 

今日が人生で最高に笑った日になるように。

そして、明日が今日よりもっと良い日になるように。

 

to be continued to make dream come true...