方向性
最近、小説を書きながらふと思ったりする。
「これじゃないのでは?」
僕は昔から苦手なものに熱中する節があった。
出来なかったことが出来る様になる感覚が好きだからだ。
スポーツにしかり、小説にしかり、福祉にしかり、音楽にしかり。
向いていないものに恋焦がれ挑戦している。
でも、本来の自分は勉強大好きロジカル人間だったりする。ていうかゴリゴリの理系である。
なんなら人の感情が分からなくて、人と関わることを一度辞めてさえいる。友達につまらないと言われ続け、自分には人を笑顔にする才能がないと齢12歳にして悟った経験すらある。
だからこそ、面白い奴になりたくて、お笑いを勉強して、小説でも会話劇ばかり書いていたりする。
てか小説書いてるけども、僕は読書感想文すらろくに書けなかった人間である。文章力は極端にない。だけど、友達がなれなかった漫画を目指し、絵が描けないからという理由で漫画原作や小説を書いている。よく考えたらおかしい。
そして、僕は運動神経がない。
体力テストでは常にワーストを争うタイプの人間である。なのに、小学生の頃はドッジボールに熱中し、大人になった今も野球やバスケが趣味になっている。
でも、運動神経はないので、経験者と争うとコテンパンにされる。
そして、福祉にしてもそうだ。
人の気持ちが分からなくて、自分は一人で生きていこうと中三の時に決意したにも関わらず、やっぱり寂しくて人助けの仕事をしている。他人からの愛に飢えていたから。あくまで向いているから福祉をしていたわけじゃない。非常に個人的な理由からである。
音楽にしてもですよ。
小6のときに文化祭の合唱の練習で隣で歌っていた友達にマジ顔で「歌うな」と説教されたにも関わらず、未だにカラオケ大好き人間である。マイクを持ったら離せないジャイアンもどきココにありである。
僕は出来ないことが好きなのかもしれない。
ただ、出来る様になると、つまらなくなったりもする。
新しいゲームをやるときに、とてもワクワクするのだけど、ある程度できるようになると飽きてしまったりする。
僕は話すことが好きだし、ある程度笑いを作れるくらい、トーク力はついたように自分では思っている。昔とは違い、カラオケに行けば90点を出せる回数も増えた。福祉の仕事でも、利用者対応で困ることはない。小説も一話をまとめる力はついた。
全体的にそこそこ出来る様になった。
だからか、どこかつまらない。
自分の限界を決めてしまっているから?
いや、そこそこ出来たら満足しているからなのかもしれない。
そこまで好きなものではないから。
小説も漫画も、僕はあくまで読むのが好きだ。
自分にない発想に触れて、視野を広げるのが楽しい。
スポーツも勝負するのじゃなくて、身体を動かすことで心身ともに健康になっている自覚できて、自分は正しいと思えるから気持ちいい。
福祉の仕事も、音楽も、昔のトラウマを乗り越えれたようで嬉しいのだ。
僕は今が楽しい。
昔と違って、彼女も出来て、家族関係も良くなって、信頼できる仲間も出来て、そこそこコミュニケーション力がついて、何でもそこそこ出来るスキルが身に付いた。
昔の出来ない自分ではない。
仮にできなくても、人に教わる術を身に付けてしまったから。
できないイメージが湧かない。
ただ、とびきり出来ることもイメージは出来ない。
今までやってきたことに、自分の本当にやりたいことはないから。
すべて、足りないものを補ってきただけに過ぎないから。
いわば、弱点を克服してきただけだったりする。
もちろん、全部好きなことではある。
でも、トップになりたいなら、自分の得意を生かす他ない。
僕が他人よりもできたことは勉強に他ならない。特に数学。
それを生かさずして、何を生かすのかと。
もちろん、数学のロジカルシンキングのお陰で効率よく正しい努力が出来ていたのだと思う。
人生というものを分析してこれたと思う。
でも、より自分の人生を豊かに生きたいのなら、このロジカルシンキングをもっと活かした方が良いのではないか。
クリエイティブな方向では、この力はある程度のとこまでしか連れて行ってはくれない。
突き抜けてはくれない。
僕はあくまで、消費者でしかない。
クリエイティブなものを作れる奴ではない。
好きなように出来るなら、勿論それが一番いい。
でも、クリエイティブで勝負できるのは、やっぱりオリジナルを作れる者だけなのだ。
自分は誰かの二番煎じでしかない。
それに、物語を使って、欲求を発散しているだけだ。僕は小説が好きではないから?
子供の頃は、それしか娯楽がなかった。
スマホを手にしてからというもの、小説を読まなくなった。
僕は、この頭脳を別の分野で使いたい。
と、いうわけで、まずは今流行ってるプログラミングやってみようかな。
次の『出来ない』に挑戦だ。