あめいろの脱・徒然日記

今日という1日に彩りを

僕が死のうと思ったのは

今日、この曲をテレビ番組の中で聴いて知ったのですが、メチャクチャ素敵な曲だと思ったので、勝手ながら感想綴らせて下さい。

変わろうとしても変われない
上手くいかず心が満たされない
立ち上がれないそんな夜に
そっと隣で寄り添ってくれる

この曲はそんな一曲。
じわりじわりと心に沁みてくる歌詞が本当に素晴らしくて、自分の体験を元に誰かの心に寄り添うという、1番素晴らしい創作の形だと今更ですが思いました。

ちなみに、この曲は死のうとしていた友人へ向けて作った一曲なのだとか。

心を救う

そんな存在で自分もありたい。

自分の在り方

『自分探し』という言葉が存在する。
この言葉は、自分が本当は何をやりたいのか探す、という意味で使われることが多い。
僕は自分が何をやりたいのかは、長年探求した結果分かっていない。
いや、わかっていないというよりは、明確な答えが出ていないといったところだ。
というか、この問いには明確な答えが存在しないといった方が良いかもしれない。
なぜなら、答えは自分で見つけるしかないからだ。
自分で分からないと言っているのに、自分で見つけなければならないのだ。
大いなる矛盾を含んでいる。

 

てゆうか見つかるわけあるかい!

 

っていう。
そもそも、自分が分からん!って考えてる人は自分で正解を出すという単純な能力がない。
てか、そもそも自分がコレなら出来るという選択肢が少ない。能力が低いから。
結果的に、コレも出来ない、アレも出来ない。
アレ?俺何が出来るんだ?何がやりたいんだ?
となる。非常にシンプルな話だ。

 

この場合の解決策は『やってみる』だ。
仮に一つのことに挑戦してみて、上手くいかなかったとしても、続けるしかないのだ。続けて、自分のものにしていくしかない。

 

色々やってみた結果、結局福祉の仕事を5年続けている僕が出した答えはそれだ。
苦手だろうが何だろうが、楽しみを見つけて続けるしかないのだ。
僕はあれこれ手を出してみては、途中で諦めてきた。唯一続いていることが、こうして文章を書くことと、福祉の仕事だ。
正直どちらも得意ではない。
ただ、続けてきたから、少しはマシになった、といえるかもしれない。
もしかしたら、もっと得意なことがあるのかもしれないし、見つけれていないだけかもしれない。
でも、それなりに楽しく出来ることを見つけられたのだから、それで良いのかもしれないという想いもある。

 

大きな夢を持っていたこともあった。
希望を抱いていたこともあった。
でも、それでは成功する筈もない。

結局、夢を叶えるには、目の前の現実の課題を一つ一つクリアしていく他ないから。

夢を叶えたいなら
誰よりも現実と向き合わなくてはいけないのだ。

 

現実から逃げたり
分からないと言って自分から逃げ続ける限り
現実は変わらないのだ。

 

現実は自分が行動しない限り変わらない。
意識を変えようと変わらない。

 

誰かの為に生きない限り
誰からも愛されることはない。

 

誰かの幸せを喜べる人が
きっと幸せになれる。

 

誰かの幸せを喜べる人にしか
人もお金も集まってこないから。

 

自分が楽出来るよう生きている限り、
楽にはなれない。

 

努力する必要はない。
自分が楽しんで取り組めることを
楽しんでやれば良い。
その楽しめることの先に
誰かの幸せがあれば良いだけなのだ。 

 

世間体とか将来性とか給料とか
もちろん考えた方が良い。
結局仕事なんて最初は嫌でも慣れるかもしれない。楽しい仕事よりも、仕事終わりのビールが旨けりゃそれで良いのかもしれない。

 

人は自由で
人生に意味なんてない。

 

どう生きても最後は死ぬだけ。

でも、やっぱり自分に誇りを持ちたい。
自分も必要とされていると思いたい。


認められたい。
愛されたい。

だからこそ愛したい。
認めたい。

 

どれもエゴだ。
自分中心に生きる限り
幸せになんてなれない。

自分が正しいと思い続ける限り
誰からも愛されない。

誰かの為に生きれる人が
成功できる。

自分は少なくとも、
そんな人間では無い。

誰かに必要とされる喜びを知ってしまうと
もっと欲しいと思ってしまう。

それはもう誰かの為ではないのに。

 

自分とは
自分は○○だと決める機械のようなものだ。

 

自分とは何者でもない。

自分なんてそもそも存在しないのに
自分を見つけるなんて無理な話なのだ。

自分が分からなくて当然だ。

この世界には
世界もなければ自分も存在しない。

言葉で定義されているに過ぎない。

僕は誰かと笑い合えてる時間が好きだ。
ただ、それだけなのだ。

 

友達や家族、彼女と
くだらないことで笑い合ったり
一緒に遊んだり
一緒にご飯を食べたり
そんな何気ない日々が幸せだ。

大きなサービスを生み出す力は僕にはない。
自分の手が届く範囲の人を笑顔にするだけでも
毎日四苦八苦している。

 

それが自分。
でもそれで良い。
それが良い。

 

無理くり納得しようとしてるって?
別に良いんです。

 

手の届かない夢を追うより
身近な人の幸せ願って
楽しみながら頑張って、
少しでも成長したら
今より少しは手が届く範囲が広がっている筈だから。

大して手が届かなかったら
自分はそれまでの男だっただけ。

手が届くように毎日
目の前の現実と向き合っていくだけだ。


迷っても仕方ない。
そう思うから、今日も言葉を紡ぐのだ。

日記はモヤモヤ掃除機

このnoteもそうですが、日記を書くことが子供の頃から日課となっています。

 

紙の日記帳にも書くし、こうしてnoteに書いたりはてなブログに書いてることもあります。
日記にはいくつかの利点があるのですが、1番は自分を客観視できる点にあると思っています。

 

普通に生きていると、忘れてしまうような自分の感情を言葉として表現することで、思考が整理されます。頭のモヤモヤが取れる感覚とでも言いましょうか。
日記は頭にあるモヤモヤを吸い取ってくれます。

そもそも、頭のモヤモヤって、ある意味では感情が言葉になっていない状態を指していると思うんですよね。
言葉に出来ないからモヤモヤする。

言葉として吐き出してしまえば、頭の中からモヤモヤって取れると思うんですよ。
よくストレス発散法やビジネス上達法なんかで、日記を紹介している本を目にしますが、思考を整理出来るって、あらゆる場面で必要なことだからこそ、頭の良い人達がオススメしているのだろうと思います。

 

誰かの為の文章も大切ですが
自分の為に自分の言葉で表現してみるのも
新しい発見があって面白いかもですよ♪


過去の日記や投稿読み返しながら、

 

「自分こんなこと考えてたんだなー(しみじみ)、、、負けてられん(?)」

とか思ったので、


ちょっと、こんな記事書いてみました。

この日記が今日を楽しく生きた記録として
未来でまた読み耽れたら良いなぁ。

 

毎日を楽しいで埋めてやる!

 

しょこたんが書いた
『死ぬんじゃねーぞ!』
って本読んでから、その気持ちが一段と強くなった気がします。

 

ありがとう!
しょこたん

読書とは双方向コミュニケーション

読書とは、筆者と読者による会話だと思っている。

読者の興味や悩みに対して、筆者が解決策を提示し、筆者は自分の人生に活かす。

という一連の流れがあるからだ。

 

一人で過ごすことの多かった学生時代。

僕の話し相手はいつだって本の向こうにいる人だった。

色んな人の考えに触れられたお陰で、僕は本当の意味で一人になることはなかった。

 

僕は本によって、孤独から救われていた。

だからこそ、僕も自分と同じように孤独なときを生きる人の居場所になりたいと思う。

その手段として、オンラインコミュニティやフリースクールを作ろうとしたこともあった。

 

大人になって、関わる人が増えて、一人ではなくなった。リアルで人と関わることの楽しさを知った。1人は楽だが、何も生まれはしないことを知った。

 

でもやっぱ、伝えたい想いがある。

この想いを伝えることで、誰かの心の穴を埋めれたらなと思う。

それが、自分の生き様だ。

 

楽をしてるのかもしれないけどね笑

 

何度も挫けそうになるけど、

本を読むこと、

こうして自分を言葉で表現していくことだけは、これからも続けていきたいと思う。

学生時代を振り返って思うこと

Googleドライブで前のスマホ時代のメモをみていたら、今よりもたくさんのストーリーのネタが記されていた。思えば常にメモばっかしていたっけ。学生時代は本気でストーリーと向き合い続けていたなぁ。社会に出ると、なかなかそうはいかない。気付けば、自分も社会人5年目だったりする。うわっ、もう数えることすらしてなかったよ💧
あんなに節目節目で日記書いて、想いを残そうとしていた奴が。心が冷えていくことを嘆きたくっていた奴が。時間が進んで、刻一刻と死が迫っている事実を恐れていた奴が。

もうどうでも良くなってるのかな。
夢を見ることを諦めてるのかな。

いや昔の方が現実は見ていた。
だから努力を惜しむことが無かった。
がむしゃらになれた。

今はただ、現実から逃げているだけだ。
仕事や家族とか色んなことを行動しない口実にしているだけだ。

学生時代の方が自由だった。
自分の可能性を信じていた。

やりたいことなんてなかった。
でも何かになれると信じていた。


社会で生き抜く為の合理的な選択をすべきだっただろうか。自分を表現する道を履き違えてはいないだろうか。

僕がやりたいことは、ただ誰かの役に立つことだ。

芸人になることでも、漫画家になることでも、支援者になることでもない。


自分の力で役に立ちたい。
じゃないと、自分を誇れない。

分野なんて、どうでも良かったのだ。
ただ、自分に出来ることで人を幸せにしたい。

自分と出会ってくれた人に
出会えて良かったと思わせたい。

笑っていて欲しい。


その為の武器が欲しい。


それが僕のリアルだ。


特別な経験なんてしていない。
ただ、逃げてばかりの人生だった。

だからこそ、もう逃げずに人生と向き合いたい。もっと冒険し続けたい。

何だっていいのだ。

ただ、退屈が嫌いなだけだ。

ゲームをしていてもつまらないのだ。


毎日、仕事をしていてもつまらないのだ。


世界中を旅したり、自分の力で稼いだり、エンタメを発信したり、愛や友情を育んだり、たくさんの思い出を作ったり。

自由に楽しく生きていたい。

僕はただ、大切な人と笑っていたくて。

同じ目標を持つ人と頑張る日々を生きていたくて。


僕には笑わせる力はないけど、
隣で笑うことはできるから。


そんな自分として今日を生きていたい。

 

 

俺には無理だ病

昔から「コレやってみたいな」と思っては、いや自分には無理だなと諦めてきたことが多々ある。

 

スポーツや芸能界の舞台で活躍すること、起業して自分の会社を運営すること、「自分もやりたい!」と思いつつ、実際に目指してみて、やっぱ無理だなと思い、いつも諦めてきた。

僕には軸が無かった。

ただ、本気で生きてる人達を見て羨ましくなっていただけだった。

 

しょうもない感覚だった。

 

今の退屈だけども平凡で平和な毎日で、満足してしまっている自分がいる。

本当は何かになりたいわけじゃなかった。

 

ただ、皆からチヤホヤされたいだけの、しょうもない奴だった。

 

僕が誰かの為に生きれる奴なら、きっと行動を起こしまくってる中で、成功していた筈だから。

 

好きなものなんてない。

目指したいものなんてない。

ハンパだから成功しない。

 

成功する奴は、やり抜く意志と力を持っている。

 

自分にはそれがない。

自分はただの、平凡な大多数の人間の内の1人でしかないから。

大多数の1人でいる自分にどこか、安心している自分すらいる。

 

だからこそ、才能があるのに、唯一無二になる可能性を秘めているのに、挑戦しない人を見ると、心底嫉妬してしまう。

 

その才能というイス譲れ、と。

そこに座る資格があるお前が何で座らねーんだよって。

 

俺は昔から、そのイスに恋焦がれてきたんだぞ。自分が座れそうな色んなイス探し回って、見つかってねーんだよ。

なぜお前は座らんのだと。

 

でもそれは本当は、途中で諦めてしまう自分へのイライラだったのかななんて、ふと思ったりする。

 

何かを本気で好きになれないのは、ただ怖いだけなのだ。失うことが怖いから。現実を見たくないから。

 

一生は一度だけ。

分かっているのに。

 

死んだら何もかも失うのに。

なぜ本気になれないのだろう。

 

なぜ楽することで安寧を欲するのだろう。

その方が死ぬ前に死ぬほど後悔する筈なのに。

 

何でかなぁ、ほんと。

 

ビョーキってことにして、責任転嫁出来たらどれほど楽か。

 

って言っても始まらないから、今日もネームを書く。

なんか気持ち吐き出さないと前に進み出せない病らしい(おい)

チンケな想い

U-NEXTでヒロアカとか、かぐやさまとかアニメを片っ端から見てる。この日記を書いている今もバックグラウンド再生して観ていたりする。

あーなんて幸せなんだ。
昔はテレビでしか見れなかったものがネットで見れるなんて良い時代になったものだ。

でも月額料金かかるんだけどね。
でも月額料金を賭ける価値がある。

やっぱエンタメは不滅だ。
人生を豊かにしてくれる。

平凡な毎日に活力を与えてくれる。
僕の人生にエンタメは不可欠だ。

漫画もアニメも映画も大好きだ。
自分の中にあるものを表現したい。

自分の力でみんなを笑顔にしたい。
孤独から救いたい。

ココにキミの居場所がある、と。
僕が証明できる存在になりたい。

手段は何だっていい。
福祉だろうが、その他サービスだろうが、エンタメだろうが。

ただ、僕のゴールは、そこにある。

僕と関わった全ての人に
「俺、あめいろと同級生だったんだぜ」
「アイツは俺が育てたw」
とかって、自慢されるような、そんな存在になりたい。

「お前は自慢の息子だ」

そう思ってもらえるような自分でありたい。


それが、僕のやりたいことだ。


チンケな想いかもしれない。
ただ、凄いって思われたいだけだから。

でも、そのチンケだと思っていた想いが自分の本音なのだ。子供の頃から変わらない、自分の想いだ。


死ぬのは怖いけど、それでも、叶えたい夢がある。


信じぬけ。
そこに星があると信じて。